■最初の出来事
 あれは小学校に上がる前の夏休みでした。私と仲のよかったMちゃんは雑貨屋でアイスキャンデーを買いました。それを食べながら歩き始めると、その雑貨屋の男の人が、「ちょっとおいで」と声をかけたのです。幼稚園児に何の判断力があったでしょう。私たち二人は建築中の一軒の家に連れ込まれてしまったのです。男はMちゃんを犯しました。私はそれを目の前で見ました。Mちゃんは「痛い痛い」と泣いていました。それから後のことはよく覚えていません。泣くMちゃんの手を引きながら、家に帰りました。私たちは妙な躊躇感からおとなにそのことを言えませんでした。心の傷として深く残りました。私は男性恐怖症になりました。結婚できたのはただひたすら主人がやさしく、待ってくれたからです。Mちゃんも結婚して子供に恵まれたと風の便りに聞きました。でも、今でもあの男は許せません。

■中学3年の地獄
 中3のとき、私の学校はいわゆる「荒れた学校」でした。そこで先生方は考えました。不良の子を一クラスに集めて、そこの担任を転任してきた何も知らない先生にやらせたのです。学級委員をやる人間がいるというので、私が入れられました。この話は、卒業後、学校を辞めた先生に聞いた実話です。私は不良の子たちとは合いませんでした。数少ない真面目な子たちとも合いませんでした。何よりその担任の先生と合わなかったのです。まるで爬虫類のようなぬめっとした先生でした。私の男性恐怖症は激しく蘇りました。私は毎日学校へ行くのが地獄でした。死にたいと思いました。黒のスカーフをこっそり買って首を絞めました。何度も何度も。でも死ねませんでした。我慢して我慢して、卒業の日を指折り数えました。でも卒業しても私の地獄は続きました。私はM高に行きたかったのに、くじに外れて、K高に行くことになったのです。合格発表のとき、トイレで泣きました。
 高校に入ってからも、無気力な日々が続きました。今考えると、自殺を考えたときから私は「うつ病」だったのだと思います。高校2年間、無気力な日々は続き、3年になってやっとよくなりました。


■初めての病院
 大人になってからも無気力が時々襲ってきました。就職はしましたが、時々休みました。結婚してからは無気力がひどくなり、年に何ヶ月かは一日中パジャマでいる日が続きました。そのころ合唱団に入りました。それで何年か熱心に活動して、それから役員になりました。そのとき、会長からパワーハラスメントを受けました。昼間呼び出されて、ホテルに連れ込まれ無理やり関係を持たされたのです。その後は無視されました。そのうち会長の奥さんが(彼女も役員)「あんた、でしゃばらんといて」といわれました。奥さんは何もかも知っていたのです。私はモーツアルトの「レクイエム」公演を直前に、声が出なくなりました。当然、合唱団は辞めました。
 初めて精神科に行きました。そしたらそこの先生が、変な人だったのです。はじめは話を聞いてくれるいい先生のような気がしましたが、パワハラを受けたことは「あなたも悪かった」といったり、それに私の体を触るようになってきました。これも治療の一環なのかと(患者の心を落ち着かせるという意味で)などと考えていました。初めてそういう病院にかかったので、わからなかったのです。その先生にもパワーハラスメントを受けました。「先生はあなたの秘密を全部知っとるんよ」と脅され、肉体関係を強要されました。私には「病院を代わればいいんだ」ということすら思いつきませんでした。馬鹿ですね。


■その後
 その先生とはもう治療は成り立ちませんでした。行く度に肩をもまされ、先生の愚痴を聞かされました。私の具合はどんどん悪くなっていきました。とうとう、我慢できずに通院をやめました。薬がなくなるのは、不安だったけど、しかたありません。しばらくはどこにも行かずに過ごしました。でもまた具合がわるくなり、今度は家に少し近い病院に通うようになりました。その先生は清潔で親切でとてもいい先生でした。私はそれでも具合が悪くなり、手を切るリストカットをしたり、薬を大量に飲むODをしたりしました。そして、2006年までの間、3回、草津病院にj入院したこともあります。


■現在(2007年9月)
 今はパソコン教室とお茶に通っています。病院はまた変わりましたが、だいぶよくなりました。でもいまだに家事は、主人と母任せです。ひどく億劫なときもあります。朝起きられないときもあります。薬もまだ山のように飲んでいます。29歳から病院に通い始め、いま45歳です。一生薬とは縁が切れないのかなとも思います。大きな変化は去年の11月、チワワのチョビがうちにきたことです。今は主人もすっかりパチンコをやめ家にいてくれます。毎週日曜日には湯来にあるドッグランにでかけて、犬たちとのふれあいをもっています。その辺がすこしよくなってきたことかなあと思います。今はリストカットしようとは思いません。自殺も考えていません。これからどうなるか分からないけど、毎日毎日、のんびり自分なりに生きていけばいいかと思っています。


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